2011年6月19日日曜日
6月15日 パート2 @プラハ、チェコ
『Novy Prostor』の創設者ダーシャとのランチに、編集長のトマスが途中参加。日本文化にも興味がある彼が「以前、『メカニカル・ラブ』という映画を見たことがあるんだけど・・・」と切り出す。デンマークのフィエ・アンボ監督が、ロボットと人間とのふれあいを描いたこのドキュメンタリー映画は、07年の「アムステルダム・ドキュメンタリー映画祭」で優秀賞を受賞。映画では2体のロボットが紹介されており、そのうちの1体「パロ」は欧州の老人ホームや日本の高齢者と交流。もう1体は、大阪大学・石黒教授のアンドロイド「ジェミノイド」を取り上げている。
「その『メカニカル・ラブ』の中で「Sonzaikan」という言葉が出て来たんだ」とトマス。一瞬何かの「館」かな?といろんな漢字が頭に浮かんだけれど、幾度かの質問のうち、「Sonzaikan」は「存在感」であると判明。
大学では哲学を学んだトマス。「ロボットにも存在感があると思う?」と聞いてきた。たぶん、彼らに存在感を認めたときに、人間とロボットとの交流が可能になるんだろう。さらにトマスが「ホームレス状態の人々は日本で『存在感』がある?」と質問を重ねる。そう聞かれて考えてみたのだけれど、実はこの「存在感」がいろいろな日本社会のひずみを解くカギなのかなぁ、と思ったのだ。
私自身、日本で生きていくことにつらい気持ちを抱えてしまうことがよくあって、何だか片意地はって「存在感」を示していかないと社会へのメンバーシップをもらえないような、そんなプレッシャーをいつも感じていた。
存在感を示すために組織で頑張りすぎたり、いらないものまで買ってしまったりすることがあるのかもしれない。この実体のないモノに振り回されているかもしれないなぁーという気持ちをトマスに話した。
今まで見たことのない角度から日本の社会を見る機会を得た1日だった。
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