2011年4月29日金曜日



4月29日 パート2 @台北

 『ビッグイシュー台湾版』(以下、TBIT)の販売担当のキラ&アニーは、ともに24歳と、とても若い。販売者さんたちと接するの大変じゃない?と水を向けると、「予想もつかない返答をしてくれるからおもしろいわ」とアニー。頼もしい!
 創刊して1カ月ほど経った頃、TBITのことを知り、販売担当に志願したというアニー。「台湾では初めての試みだったから、どこまでできるのかやってみたかったの」と語る。「今は友達に話しても『ビッグイシューって何?』『ホームレスの人が売っているってどういうこと?』って理解してもらえないけど、そのうち、ね!」とどこまでも前向きだ。
 キラは、ビッグイシューで働く前は、IKEAで販売担当だった。「IKEAでは、お客さんが家具を買いに来て、買ったらそのままお別れだったけれど、ビッグイシューでは販売者さんの人生に関われる。これほどやりがいのある仕事はないわ」
 そんな2人の夢は、「ビッグイシューを台北だけでなく、台中でも売ること!」。
 3週間ほど前に、台中で一度販売希望者を対象に説明会を行ったが、一通り説明をしても、反応が薄かったという。「来月もう一度説明会を開くの。今回は大丈夫なはずよ!」、そう言って2人ははじけるように笑った。


4月29日 パート1 @台北
 
 忙しげな『ビッグイシュー台湾版』の編集長ファインスをつかまえて、やっとこさインタビューすることができた。
 まずは、雑誌立ち上げのいきさつから・・・
「台湾に『25/35』という雑誌があるんですが、そこで『ビッグイシュー』のことが紹介されていたんです。それで、すごく興味をもって・・・。それが09年7月のことなんですが、2カ月後の09年9月には、『ビッグイシュー』創設者のジョン・バードに会いに英国に飛んでいました」とファインス。
 実は、その時にはすでに『ビッグイシュー台湾版』の表紙デザイン案ができていたという。そのサンプルを見たジョン・バードは感嘆し、彼らが「ビッグイシュー」の名前を使うことを即OKしたという。
 それから約半年後の2010年4月、『ビッグイシュー台湾』は産声を上げた。もともと、ファインスは『Roodo』というウェブ・マガジンを10年近く編集していたこともあって、多くのライターやカメラマンが『ビッグイシュー台湾版』の立ち上げを手伝ってくれたと語る。そのうちの1人が今も表紙のグラフィック・デザインを担当してくれているアーロン・ニエ(Aaron Nieh)だ。
 創刊号の特集は「愚人世代」。表紙には、アップル社のスティーブ・ジョブズの言葉として知られる「Stay Hungry, Stay Foolish(ハングリーであれ、愚かであれ)」が冠されている。その意図を編集部員のシャロンはこう説明する。「『ビッグイシュー台湾版』は20歳から35歳をターゲットにしていますが、この世代は起業する人も多く、失敗を恐れず挑戦する世代です。読者層に私たちから、そういうメッセージを発信したかったの」
 私財を投じて『ビッグイシュー台湾版』を立ち上げたファインス。でも、「販売者さんが、この仕事を通じて少しずつ自信を取り戻していく姿を見ると、とても励まされるよ」と柔和にほほ笑む。シャロンも「私たちって、生活の大半を仕事場で過ごすわけでしょ。だからやってて楽しいことを仕事にしたかったのよ」と語る。「愚人世代」代表の2人が、とても輝いて見えた。




4月28日  @台北

 台北のオシャレな若者で、華山を知らない人はいない。華山とは、もともと酒工場跡地だった場所につくられたアート・スペース。敷地内のほとんどの建物は1914年に建設されたまま残っていて、その廃墟のようなたたずまいが何とも言えないいい味を醸し出している。
 87年に酒工場が別の地に移転し、97年にアーティストたちの呼びかけで、華山は現在のようなアート・スペースとして脚光を浴びるようになった。ライブハウスや、ギャラリー、本屋におしゃれなカフェと、華山に行けば何かおもしろいことやってるはず、とふらりと人が訪れる。
 そんな華山の一角に、なんと『ビッグイシュー台湾版』(以下、TBIT)の仕入れ場所の1つがあるという。「そりゃぜひ行かなくちゃ!」と、TBIT販売担当のキラ&アニーに連れて行ってもらった。
 事務所から歩いて5分。緑の公園の片隅に、簡易ログハウスのような仕入れ場所があった。中ではボランティアの顔恵珠さんが、販売者さんの対応中。聞けば、TBITは、顔さんのようなボランティア、約20名に支えられているという。
 そして、さらに聞けば、この仕入れ場所も、そしてここから歩いて5分のところにある「ビッグイシュー台湾」のオフィスも、華山から無料で借りられているという。
 一休みしに華山内のカフェに入ると、オシャレな店の雰囲気にすんなり溶け込んで『ビッグイシュー台湾版』が置かれてあった。


4月27日 パート2 @台北
午後からは、販売担当のアニー&キラとインターンのサークルとともに、販売者さんとシェルターを訪ねることになった。
台湾で会った1人目の販売者さんは、買西亜さん。「SOGO」デパートなどがあり、いつでも買い物客でにぎわう4号線の「忠孝復興」駅で販売している。
 「ビッグイシュー台湾」(以下、TBIT)で働く前は、清掃員をしていたという彼。足の障害のために仕事が続けられなくなって、シェルターでボランティアをしているときに、TBITを知った。「TBITは、単にお金を儲ける手段というだけでなくて、人と話す機会や社会とつながる機会をくれます」と語る買西亜さん。「だから、会社には経営破たんしてほしくないよ!」と軽口を飛ばす。
 TBITには約50人の販売者さんがいるという。そのうち5人ほどが台北市郊外の景安にあるシェルターに住んでいる。彼らは高齢であったり健康に問題があったりするため、自ら雑誌の仕入れに出向くことはせず、TBITのスタッフが定期的にシェルターに雑誌を届けに訪れる。
午後5時ごろ、TBITの事務所から地下鉄4号線と3号線を乗り継いでシェルターを訪れると、ちょうど夕飯時だった。40人ほどの男性たちが、言葉少なに食事をしている。食卓の周りを飛び交う数羽の雀の鳴く声が、響く。
シェルターで、「公館誠品」が売り場という販売者さんにばったり出会う。「公館」は台湾大学があることもあって、お客さんには学生が多いという。「今月は600冊売れたよ!」と嬉しそう。日焼けした顔をくしゃっとさせて笑った。


4月27日 パート1 @台北

 『Jeepney』誌のインターン、中国人のサイモンから「How is everything in Taiwan?(台湾はどう?)祝你一切顺利/あなたがすべて順調なことを祈ります」とメールが来た。いろんな人の祈りや思いに支えられて旅が守られているなーと思う。
 台北は、初めて訪れる都市だけれど、漢字表記のためなんだか懐かしく感じられる。旅に出る前に台北情報をたんまりくれた台北通のMさん、Fさんや友人のNがこの街にはまるのが、なんとなくわかる気がした。
早速地下鉄に乗って、4号線の「善導寺」駅から徒歩5分の「ビッグイシュー・台湾」のオフィスを訪れる。
 ストリート・マガジン『ビッグイシュー台湾版』(http://www.bigissue.tw/)は、先に訪れた「ビッグイシュー・韓国」(以下、TBIK)でも噂の的だった。おしゃれな雑誌デザイン。まだ創刊されて1年しか経たないのに、「ベネトン」や銀行などから広告が出稿されている。表紙だって、2号にはいきなりアーメイ(張恵妹/台湾の歌手)が登場し、しかも独占インタビューだったりする。なんだかすごく“プロ”っぽい・・・。TBIKのマーケティング担当のヨンファンからは、「しっかり技を盗んでくるように」とお達しがあった。思い出して、思わず「Yes, sir!」とつぶやく。
 そんなわけで、ドキドキしながら事務所のドアをノックすると、すらりと手足の伸びた編集部員のシャロンと柔和な笑顔の編集長のファインスが出迎えてくれた。その5分後、驚愕の事実が知らされようとは・・・。
 なんと、『ビッグイシュー台湾版』は、ファインスとシャロンの2人で編集されているという。ほ、本当ですか!? ほかに登録ライターがいるとはいえ、月1回1万5千部出ているクオリティ高い雑誌を作り続けるのは、すごい労力のはず。あごが落ちるほど驚いた・・・。ちなみに、スタッフはほかにデザイナー1人、広告担当1人、販売担当2人で、計6人という。 
 詳しい編集方針や方法など、質問は山積みなのだが、腹が減っては戦はできぬ。まずは、「鼎泰豊」で皆でランチをすることに。13時過ぎだというのに、店内は大賑わい。香片のお茶が鼻孔をくすぐる。小龍包のジューシーな肉汁は、すきっ腹にしみいる。
 おいしい飲茶に満足し、皆とろけきった顔で店を後にした。
4月26日 パート2 @マニラ→台北
 
 台北へ向かう飛行機で音楽を聴こうと備えつけのミュージック・プログラムを見ていると、Herbie Hancockの「Imagine Project」というアルバムを発見。思わず「あっ!」と叫んでしまった。
 半年ほど前、仕事の合間に近くのタワレコに繰り出して視聴して、思わず聴きほれてしまった1曲がある。それがこのアルバムの1曲目の「Imagine」のカバー曲。
 Herbie Hancockのピアノの前奏からぐいっと引き込まれるのだが、「Imagine there’s no countries(想像してみて、国は存在しないって)」と始まる女声がいい。「You may say I’m a dreamer(あなたは、僕のことを夢見がちだって言うかもしれないね)」から男声、そして「I hope someday you’ll join us(いつか僕らに加わってくれることを願うよ)/ and the world will be as one(そして世界は1つになるんだ)」でデュエット。ぞわぞわ鳥肌が立って、すーっと周りの音が消え去り、世界に歌声と自分だけしか存在しないように感じたのを、今でも覚えている。
http://www.youtube.com/watch?v=mVAQl7qq-aI&feature=related
 調べてみると、女声が米国人シンガーPinkで、男声がロンドン出身のシール。シールは父がブラジル系、母がナイジェリア人だという。
 この歌を改めて聴きながら、人は夢なしには生きられないんだよなーと妙に哲学してしまう。現実の海でおぼれないための浮力のように、夢って必要な気がする。そして、その夢が実現するかしないかは実はそんなに大したことではなくて、ただ夢をもってさえいれば、ぽきっと折れずに生きていける気がする。
 今回の旅で、いろんな現実を生きる人の夢を聞いて、改めてそう感じている。
4月26日 パート1 @マニラ
 マニラを去る日。
朝7時に、リアがホテルに迎えに来てくれた。
空港へ向かうタクシーの中で、「そういえば」と切り出す。「リアに、夢を聞くのを忘れてたわ」
そう問うと、リアは、「夢? Do I have one?(私、夢なんかもってたかしら?)」と笑った。でもすぐに真顔になり、こう言う。「最近、人を助けて仕えていくことに喜びを感じるようになってきたの。これからも周りの人の役に立っていきたいというのが、私の夢」
おおー、優等生のリアっぽいと感心していると、「でも一方でね」と続ける。「いつも販売者との距離感に悩むのよ。近すぎるても遠すぎてもダメ、難しいの。時には疲れ果てて、1人になりた~いっ!って1人で時間を過ごすこともあるのよ」
夢と現実のはざまで揺れるリアの横顔は、とても美しかった。
 少ししんみりした車内の空気を、交わす冗談がやわらげる。いつの間にか空港へ到着。
 「元気でね」「お互いにね」。『Jeepney』誌の幸運を心から祈りながら、ハグをして、マニラを後にした。

2011年4月25日月曜日



4月25日 @マニラ

 フィリピンのストリート・マガジン『Jeepney』誌は、今、過渡期を迎えている。2007年11月に雑誌を立ち上げたアメリカの宣教師夫妻は、10年10月に帰国。もともとソーシャルワーカーとして同誌で働いていたリアが現在代表を務め、他にマーケティング・ディレクターとして働くセシル、販売担当のホセリートの3人で現場を支えている。
 代表を託されたとき、一度は断ったの、とリア。明らかに自分には重過ぎる荷物だと感じだから、と語る。でも、結局彼女はその重責を引き受け、どうにか今まで『Jeepney』誌を持続させてきた。
『Jeepney』誌の抱える問題の1つに、フィリピンでは路上販売が違法である、ということがあげられる。とはいうものの、マニラで道を1分も歩けば数々の露天商に出会う。彼らはしょっ引かれるのを覚悟して、路上販売をしているのだ。
 だから、『Jeepney』誌の販売者は、街頭に売り場を持たず、モールやインターナショナル・スクールに出張販売をするというパートタイムで働いている。それでも、空調があり、こぎれいな場所に出入りできることが彼らにとっては誇りであるし、また過酷でない仕事からそれなりの実入りが入ってくることで、生活のめどが立てやすくなるという。ちなみに、『Jeepney』誌は、1冊100ペソ(約200円)で売られており、そのうち50ペソ(約100円)が販売者の収入になる。1号につき、3000部刷っているという。
 現在『Jeepney』誌には11人の販売者がいるが、リアは定期的に彼らに会いに行く。生活苦を吐露する彼らに耳を傾け、愚痴っぽくなると励まし、流す涙をぬぐってあげる。特別な時にはビーチでともに時間を過ごしたりもする。
 販売者の数人は路上で暮らしている。だから、リアと道を歩いていると、「ハーイ!」と路上で暮らす家族に話しかけることがよくある。土埃にまみれた彼らが、リアを見ると目を輝かせる。こわばった顔がやわらぎ、笑顔が時にこぼれる。こうやってリアは、この4年半、彼らと絆を築いてきた。
「『Jeepney』誌で働く前は、別の団体でソーシャルワーカーとして8年間働いてきたのだけれど、ホームレス状態の人たちには仕事の機会が限られていることに、いつも悩まされてきました。彼らに仕事の機会を提供できる『Jeepney』誌の仕組みは本当に素晴らしいと思っています」
 そう言うとリアは、自らの言葉を心で反芻するかのように、大きくうなずいて笑ってみせた。



4月24日 @マニラ

 復活祭のこの日、『Jeepney』誌のフットサルチーム「チーム・ジープニー」が、イーストウッド・モールで出張雑誌販売をするというので、訪れてみた。
 ホテルのあるケソン市・クバオからタクシーで20分ほど行くと、急に建物の背が高くなって近代的になり、「イーストウッド」地区に到着。
 すでに先発隊がイベント準備に精を出していた。このイベントは、『Jeepney』誌のボードメンバーを務める女性が経営するクッキー店の主催。子どもにクッキーやケーキなどの手作り体験をしてもらうのを「チーム・ジープニー」のメンバーも手伝い、その一角で雑誌販売も行う。
 慣れない手つきで子どもたちを手伝ういかつい体格の「チーム・ジープニー」の兄ちゃんたち。思わず笑みがこぼれてしまう。
そのうちの1人ハミッドは、2010年にブラジル・リオデジャネイロで行われた「ホームレス・ワールドカップ」に参加した。11戦中、8勝3敗で、「負けたのはブラジル、チリ、イタリアだけだったんだよ!」と誇らしげ。それまでは、故郷ラグーナで三輪車タクシーの運転手などをしていたというハミッド。フットサルを始めて、「夢を持てるようになった」と語ってくれた。



4月23日 パート2 @マニラ
 
 ランチの後は、イントラムロスへ繰り出す。「イントラムロス」とは、スペイン語で「壁に囲まれた街」という意味。16世紀にスペイン人によって建てられた城塞都市だ。当時、大多数の先住民が壁の中に入ることを許されなかったが、約400年の時を経て、21世紀のマニラでは、野良犬が自由に内外を行き来していた。
「Intramuros」と重々しく書かれた門を潜り抜けると、そこはマニラ中心部とは別世界。馬車の行く音が響き、太陽光を反射した白い壁がまぶしい。ヨーロッパ風の街並みが広がる。
だが、これらの建物のほとんどが、ここ数十年の間に再建されたものだという。というのも、第2次世界大戦中、フィリピンを占領していた日本軍を米軍が攻撃した際、ほとんどの建造物が破壊されたためだ。唯一、サン・アグスティン教会のみが無事で、その後世界遺産に登録されている。
観光地で自分の国の歴史に直面するとは思わなかった。馬車に揺られながら、フィリピン人のリアと、中国人のサイモンと、日本人の私とが、互いを仲間と呼び合えるのが、なんだか奇跡のように尊いもののように感じた。
イントラムロスの後で訪れたマニラ湾の夕日をともに見ながら、さらにその思いを強くした。



4月23日 パート1 @マニラ
 今日は花の土曜日!週末!ということもあって、『Jeepney』誌のリアと、インターンのサイモンと観光に繰り出すことに。
 遠出するときに欠かせないのがジープニー。マニラで販売されているストリート・マガジンの名前にもなっている「ジープニー」とは、乗り合いタクシーのこと。でも、日本のデコトラ(デコレーション・トラック)のように、車体は「これでもか!」というほどに飾り立てられている。原色で思い思いに塗られたジープニーを見るたびに、運転手さんたちのプライドや遊び心を見るようで、なんだか笑みがこぼれてしまう。
 ホテルのあるケソン市クバオから、まずは中華街に繰り出すことに。20分ほどジープニーに揺られると、看板に中国語が増えてきた。「麦当労」に「星巴克」もある。(←さて、これは何でしょう?答えは文章末尾にあります。)
 18ペソ(約36円)を払って、ジープニーを降りた。中華街では、中国貴州省・貴陽出身の『Jeepney』誌インターンのサイモンがガイド役を務める。『Jeepney』誌のリアはお店で福建省から来たジャスミンティ茶を購入。
「素炒碗豆」「水煮魚片」「麻婆豆腐」などのランチを食べながら、話題は『Jeepney』誌のストリート・サッカー・プログラムの話題に。
『Jeepney』では、今年「スターバックス」の助成金に応募し、ストリート・サッカー・プログラム(以下、SSP)に5000ドル(約45万円)もらえることになった。
『Jeepney』のSSPとは、これまで「ホームレス・ワールドカップ」に出場した選手たちが、地元のストリート・チルドレンたちにサッカーを教えるというプログラムだ。週2回の練習には10~16歳の200人の子どもたちが集っているという。
 今年8月にパリで行われる「ホームレス・ワールドカップ」にも出場予定だという「チーム・ジープニー」。マニラやミンダナオ、イロイロなどフィリピン全土の9カ所で現在選手を募っており、5月21日の最終トライアルで、8人の選手に絞られる予定だ。



答え「麦当労」は「マクドナルド」、「星巴克」は「スターバックス」



4月22日 パート2 @マニラ
 アティ・メリーの家を後にして、『Jeepney』誌のもう一人の販売者、エミリー(47歳)に会いに行く。彼女は地元のNPOが07年9月に開いたコミュニティで暮らす。ここでは、12家族、40人の子どもたちがともに生活を営んでいる。3輪車タクシーでコミュニティ前にたどり着くと、子どもたちが何人か走り寄ってきた。カメラを見つけると、「撮って、撮って!」とモデル張りにポーズをきめてみせる。夢中でシャッターを切る。
エミリーの家は6畳ほどのスペースにベッド1つとタンス、そして大型テレビが置かれていた。大型テレビに驚いていると、「これゴミ山から拾ってきたのよ」とエミリー。なるほど、よく見ると、付属のボタンがいくつかとれている。
 長距離バスのターミナルがあるケソン市クバオで路上生活をしていたというエミリー。夫はアルコール依存症になり、過酷な路上生活に途方に暮れていたが、08年の3月に『Jeepney』誌の販売者となり、4月からこのコミュニティの一員になってからは、少しずつ生活のめどがついてきたと語る。「路上生活をしていた時に、いつか屋根のある家で住む日が来ることを夢見ていたの。神様は私の祈りに答えてくれたのね」
 そう語るエミリーが腰かけたベッドの上で、孫の男の子がすやすやと寝息をたてていた。




4月22日 パート1 @マニラ
 今日もマニラは暑い。建物から1歩外に出ただけで、毛穴中から汗が噴き出してくる。
 ストリート・マガジン『Jeepney』誌のスタッフ、リアと、インターンの中国人学生サイモンとともに、今日は『Jeepney』誌の販売者さんに話を聞くことに。
 道で三輪車タクシーを拾い、途中マーケットでお土産用のパパイヤを買って、ホテルから20分ほどのところにあるアティ・メリー(46歳)の家に到着。彼女の家は、スクウォッター(都市の廃屋などに住む人たち)によってまた貸しされたもので、1カ月の家賃は1500ペソ(約3千円)という。
 早速門をくぐると、半裸の子どもたちやトランプカードにいそしむ男たち、洗濯やおしゃべりする女たちや徘徊する犬に昼寝中の猫と、まさに混沌の世界。家々の至る所に脇道があり、その脇道からも生活臭がする。あの狭い空間にも、人が住んでいるのだろう。
一角ではお通夜が行われていた。が、全然しめっぽくなく、音楽と談笑でパーティを楽しんでいるかのよう。リアによると、フィリピンではこのようにして3日~5日ほど死者とともに時を過ごすという。
いくつかある細道の1つを左に曲がると、人ひとり通り抜けるのが精いっぱいの暗い細道に出た。その道の先にアティ・メリーの部屋があった。だが、そこはまったく太陽光の届かない闇の世界。そこで、細い階段を上って屋上の階段に座って話を聞くことになった。
現在46歳の彼女が語る半生は、常に路上とともにあり、過酷そのものなのだが、時に笑みを浮かべて朗らかに語るアティ・メリー。ただ一度大粒の涙を流したのは、路上で過酷な人生を歩まざるを得なかった子どもたちの話をした時だった。横で聞いていたリアは、そっと彼女の涙をぬぐった。

2011年4月21日木曜日



4月21日@マニラ
 朝食を食べて、ホテル周辺をぶらぶらしてみると、「聖木曜日」で「店はどこも開いていない」と聞いていたが、個人商店は何軒か開いていた。そのうちの1つでスプライトを購入。8ペソ(約16円)也。30度近くに上るマニラの暑い昼下がりにはソーダが合う。
 ホテルに戻って、ソウルで友人に紹介されていた韓国のシンガー、イン・スニ(Insooni)をYoutubeでチェック。「ガチョウの夢」のPVに涙腺直撃されてしまった。
http://www.youtube.com/watch?v=Wc6lNBoHSIY&feature=related
 こうなるとすっかりYoutube中毒状態。調べてみると、イン・スニさんは、在韓米国軍人の父と韓国人の母との間に生まれた。経済状況が厳しく、高校にも通えなかったという。
2010年に行われたカーネギーホール公演では、「戦争のとき、わたしのような子どもを置いて立ち去った後、生涯心の重荷として抱いてきた元兵士の方たちは、そろそろ荷を降ろしてほしい」と話したという(朝鮮日報/2010年2月9日)。そんな彼女の代表曲の1つが「アボジ(父)」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=Wc6lNBoHSIY&feature=related
歌いながら思わず涙を流すことも多いイン・スニ。弱くて強い、強くて弱い。太い歌声から感じずにはいられない優しい心に、聴く者も思わず共鳴してしまう。いつの日か、彼女の歌声を生で聴いてみたい。



4月20日 パート2 @マニラ
 ソウルから3時間40分。時差1時間、気温差20度近くにおよぶマニラに到着。人の多さと熱気で、ちょっぴりめまい。
 空港ではストリート・マガジン『Jeepney』誌のソーシャルワーカーのリアと、中国から『Jeepney』誌に、アイセック(インターンシップをコーディネートする国際学生団体)を通してインターンに来ているサイモンが迎えに来てくれていた。
 ショッピングセンターが立ち並ぶ、マニラ随一のマカティ地区でランチやハロハロ (タガログ語で「混ぜこぜ」という意味。かき氷のデザート)を楽しむ。
 そこからホテルまでの道中は電車を使ったのだけれど、改札でなんと空港並みのセキュリティ・チェック。モールでも入店前にかばんの中身を見せないといけなかったし、街のいたるところに拳銃を持ったガードマンがいることに、びくびくしてしまう。
 改札を通ってホームで待っていると、ラッシュ時の山手線並みのぎゅうぎゅう詰めの電車が到着。イワシの缶詰状態の車内に、かなり生気を奪われる。
 ケソン市クバオにあるホテルでベッドを見た瞬間、もう立ち上がれなくなってしまった。明日は「聖木曜日(復活祭前の木曜日)」でどこも店は閉まるということなので、1日ホテルでゆっくりすることに。明後日の金曜日に、『Jeepney』の販売者さんに話を聞くことになった。

4月20日 パート1@ソウル→マニラ
いよいよソウルからマニラ出発の日。
6時過ぎに永登浦から仁川空港へと向かう。
空港が近づくにつれて、地下鉄のアナウンスが韓国語以外に、英語、中国語、日本語と増えていく。
そういえば、『アメリカ素描』(新潮文庫)で司馬遼太郎さんが文明と文化について語っていたなぁ、とふと思い出す。後で調べてみると、こんな文章だった。
「人間は群れてしか生存できない。その集団を支えているものが、文化と文明である。いずれもくらしを秩序づけ、かつ安らがせている。文明とは『たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの』をさすのに対し,文化はむしろ不条理なものであり,特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので。他には及ぼしがたい。つまりは普遍的でない」
 なるほどなぁ、と改めて納得。空港行きの地下鉄は、表示もすべて英語表記ですごくわかりやすいのだけれど、一方で右も左もわからないハングルだらけのソウル市内の地下鉄を、ものすごく懐かしい気持ちで思い出した。
 わからないものへのわくわく感と不安感。そういうものがなくなると、世界がのっぺりしてしまう。ごつごつした人間臭さを残してくれているのが文化なんだろうなぁ。
 そんなことを考えているうちに、仁川空港へ無事到着。




4月19日 @ソウル
 韓国最終日。ビッグイシュー・韓国の事務所へお別れを言いに行く。この1週間ほど、たくさんの愛情をもらったので、お別れはことのほかつらい。こんな別れをこれから何回も経験するなんて、旅を続けていけるかなぁ・・・とちょっと不安になるほど。
 あいさつを終えて、永登浦のオフィスを後にすると、いろんな思いが込み上げてきた。
 滞在中、通訳をしてくれたサンミ、利益ばかり追求する社会を変えていきたいと語ったヨンファン、冗談ばっかり言って笑わせてくれた「おもろいguy」のマスタークー、「そんな生き方がしたい!」と思わせてくれたビョンフン・・・。思い出とともに旅は続く。


4月18日 @ソウル
 永登浦のアジュシたちは「アン・ドゥ・トゥロア」してるだけでは飽き足らない。今日は8月21日からパリで始まる「ホームレスワールドカップ」(以下、HWC)に向けてフットサルの練習。HWCとは、ホームレス状態の人だけが参加できるフットサルの国際大会のこと。
 体格のいい大学生の本気攻撃に「大丈夫か?」と何度もハラハラしながらも、エンジンがかかってくるとアジュシたちも負けていない。右サイドが攻撃に繰り出すと、キーパーまで前線に飛び出し攻勢をかける。シュート! だが、わずかに左にそれる。こぼれ球を押し込み、記念すべき初ゴールとなった。
 2時間半で5対1。だが、相手のゴールにも「拍手!」と喝采する、世にも不思議なあったかいフットサル・マッチだった。


4月17日 @ソウル
 映画『リトル・ダンサー』('00)は、英国北部の炭鉱町エヴァリントンに住む少年がバレエに目覚める話だったけれど、永登浦(ヨンドゥンポ)のアジュシ(おじさん)たちも最近バレエに目覚め始めたらしい・・・そんな噂を聞きつけ、練習場所に駆けつけてみた。
 すると、いましたいました、すらりと足を伸ばしたバレリーナの横で、「アン・ドゥ・トゥロア」と動くアジュシたちが。
 これは、ソウルバレエシアターの常任振付師ジェイムズ・ジョンさんが「ビッグイシュー・韓国」の販売者さんにもちかけて実現したコラボ企画。なんと販売者さんたちは、2011年12月30日に予定されている公演で「くるみ割り人形」に出演するのだという!
 マイムの時間には、手の甲を顔の輪郭に這わせて「あなたは美しい」、また両手を胸に当てて「あなたを愛しています」と身体の動きと表情だけで思いを伝える。おっちゃんたちのごつごつした指先から、閉じた目元の真摯さから、メッセージがにじみ出る。約3時間の練習の後には、心地よい熱気とアジュシたちの充足した顔があった。
 バレエ練習の後は、漢江の中洲、汝矣島で行われている桜フェスティバルの「ビッグイシュー・韓国」ブースを手伝いに。桜吹雪のなか、屋台のポンテギ(蛹を蒸し茹でて味付けしたおつまみ)と綿菓子で「ファイティン!(がんばろう!)」とエネルギー補給しながら、リーフレット配りにいそしんだ。ストリート・ミュージシャンのサックスの音が耳に心地よい、春の1日となった。



4月16日 パート1 @ソウル
今日は週に1度の『ビッグイシュー・韓国版』の販売者会議の日。10時過ぎに「ビッグイシュー・韓国」の事務所を訪ねると、カバンが整然と並べられ、すでに会議が始まっていた。グー・ボンチュンら見知った顔を見つけて、目であいさつする。
 会議では、5月から月2回刊になることの発表や、新人販売者さんの紹介があった。先週ビッグイシューを訪ねてきた新人販売者さんは、なんと21歳。プサンからソウルへ出てきたところを、ビッグイシュースタッフに見つけられて、販売者となった。2週間のトレーニングを経て来週から正式に販売者さんと登録される予定だ。





4月15日 @ソウル
 ビッグイシュー・韓国(以下、TBIK)は、「ストリート・エンジェル」(以下、SA)のメンバーが母体となって始まった。SAで5年間働いた後、現在TBIKでセールス&マネージメントの部長をしているのが、ジン・ムードゥさんだ。
 ジンさんは、SAで働き始める前は、富士ゼロックスでエンジニアをしていた。それがなぜ、炊き出しをするホームレス支援団体へ転職したのか、素朴な疑問をぶつけてみた。
「エンジニアをしながら、ボランティアでSAで働いていたんですが、そこの代表に『ぜひ、うちで働いてほしい』と頼まれたんです」
 安定した職を捨ててSAで働くことにフィアンセと両親は大反対。でも、SA代表の言葉に心動かされたジンさんは、結局SAで働く意思を曲げなかった。
 SAで働きながら目の当たりにしたのは、ホームレス状態の人が人間として扱われていない現状だ。政府はただ彼らを牢獄のようなシェルターに閉じ込めてたらいまわしにするばかりで、囚人のように扱っているとジンさんは語る。
 そんな時に知ったのが、ビッグイシューという雑誌の存在。これなら、ホームレス状態の人々への数々の偏見の解決策になるような気がした。そして、1年ほどの準備期間を経て、2009年7月、『ビッグイシュー・韓国』は創刊された。
 2年弱の時を経て、ビッグイシュー・韓国は周囲のNPOや一般市民から信頼を得つつある。ジンさん自身も4年の説得の時を経て、昨年無事フィアンセと結婚した。
政府の統計では5500人のホームレスが存在するといわれているが、それはソウルにあるシェルターの数をカウントしたに過ぎないという。ネットカフェやコシウォン(考試院)、チムジルバン(24時間営業のスパ)などを寝床とする不安定な住居に住む人も“ホームレス”とカウントすると、その数は2万人~10万人にのぼるのではないかというジンさん。TBIK創業の日から休みなく働く日が続く。








4月14日 パート2 @ソウル
 ビッグイシュー・韓国(以下、TBIK)の事務所の周囲は果物市場が立ち並び、アジュンマ(おばさん)やアジュシ(おじさん)たちの活気が夜遅くまで感じられる。だが、事務所から歩いて10分ほどのところに、数年前「タイムズスクエア」というきらびやかな巨大ショッピングモールができた。
 ビッグイシュー・韓国のセールス&マーケティング部門で働くキム・ヨンファンは、「あの建物はなんだかモンスターみたい」と語る。確かにその姿は、平屋建ての建物の背後から襲いかかる怪獣のよう。そして、なんとその“怪物”の真裏に、ソウルで6つあるスラム街のうちの1つがあるという。
 ヨンファンにスラム街に連れて行ってもらうことになった。真っ白で、清潔で、無機質なタイムズスクエアから1つ横断歩道を渡ると、そこは別世界だった。もう何年も使われていないような自販機や傾いた屋根。炊き出しの列に、路上で語り合うアジュシたち。薄汚れていて、崩れかけていて、でも人間の生きるパワーが充満している世界。訪れる者に、否が応でも汗や涙や喜怒哀楽や人生を感じさせてしまう。
 再び戻ったタイムズスクエアが、なんともうそっぽく、空々しく見えてしかたなかった。
 事務所までの帰り道、ヨンファンに、なぜTBIKで働こうと思ったのか聞いてみた。大学で福祉を専攻していたというヨンファン。福祉は二の次で、利益や成長を続けることを優先させる国のやり方に、ずっと疑問を感じていたという。「今の国のやり方を変えたい、社会のありかたや考え方を抜本的に変えたいと、ずっと思っていました」。その延長線上にビッグイシューがあった。
 夢は自ら社会的企業を立ち上げることだというヨンファン。TBIKの事務所で販売者のアジュシたちと語り合う姿に、夢実現の片鱗を見た。 

2011年4月14日 パート1 @ソウル
ビッグイシュー・韓国の販売者は、総勢37名。ほとんどが50-60代の男性だが、その中にも若干20-30代の販売者が存在する。
そのうちの1人が鐘閣で販売するグー・ボンチュン、35歳だ。シャイなボンチュンだが、少し言葉を交わすとその温かい人柄がにじみ出てしまう。
7人兄弟の末っ子だというボンチュン、30歳で自立したいと家を出た。ソウルに出てきて、ずっと日雇いで生計を立てていたが、身体を壊し路上へ。永登浦で炊き出しを行う「トーマスハウス」でビッグイシューのことを知り、販売者に志願した。
そんなボンチュンの宝物は、あるメダル。なんと彼は去年、ブラジルはリオデジャネイロで行われたホームレスワールドカップ(以下、HWC)に出場したのだ。HWCとは、ホームレス状態の人しか選手登録できないフットサルの国際試合のこと。03年に始まり、今年8月21日から28日に予定されているパリ大会には64カ国が参加するといわれている。(http://www.homelessworldcup.org/ )
ボンチュンによると、リオでは1勝10敗だったが、通りで子どもたちにサインを求められてうれしかったと話す。いつもは路上で「存在しないもの」とされているから、と。
今も週1回のフットサルの練習に参加しているボンチュン。フットサルが自尊心を取り戻させてくれたと笑顔を見せた。




4月13日 パート2 @ソウル
ソウル市内で土曜日以外の週6回炊き出しを行っている団体、それが「ストリート・エンジェル」だ。97年、IMF危機により経済が急激に冷え込んだこの国で、ホームレス人口が激増したといわれる。その97年からもう約14年、「ストリート・エンジェル」はその活動を続けている。
夜10時、事務所には20名近い大学生や教会関係者らボランティアが集まり、炊き出しの準備が始まった。炊飯器からは白い湯気が上がり、おでんの香りが部屋に立ち込める。
料理をバンに積み、事務所を出発したのは、深夜近く。まずは地下鉄の市庁駅に到着。階段を下りると、すでに50名近い人が列をなしていた。ほとんどが50-60代の男性。ちらほら若い男性も見受けられる。一様に暗めの色の服に身を包み、大きな荷物を背負っている。
日頃せわしげに人が行きかうソウル市のど真ん中で、深夜の夕餉が繰り広げられていることを、どれだけの人が知っているのだろう。列の最後の1人がお椀を受け取り、ふと気づくと、列に並んでいた人並みはいつのまにか散り散りに夜の闇へ消えていた。
市庁駅から2号線を2駅進んだ乙支路3街駅では、炊き出しの列のはざまで「ストリート・エンジェル」現代表のチョ・ジュンヒさんが、1人のホームレスの青年と話し込んでいた。堰を切ったように前のめりに話し続ける青年と、文字通り耳を傾けるジュンヒさん。
こらえきれず青年が涙をこぼすと、ジュンヒさんは青年の鼻水をぬぐった。そんな2人の姿を見て、光る鼻水を、心の底から美しいと思った。地下でひしと抱き合う姿は、なんだかそこだけスポットライトが当たったようで、どんな名画や世界遺産に登録されている景色よりも神々しく、「生きる」というタイトルがふさわしい彫刻のようだった。