2011年7月3日日曜日

6月29日 パート2 @オラデア→ティミショアラ、ルーマニア
オラデア最後の日。ルーマニアで医学を学ぶ友人Mの先輩M子さんと、ルーマニア第4の都市ティミショアラまで同じ電車で行けることが判明。M子さんはそこから飛行機で英国へ、私はそこから電車を乗り換えてベオグラードへ向かう。
道中、M子さんと話していると、なんと彼女、外大でペルシャ語を修めた後、04年に日本大使館の職員としてアフガンに赴任していたという。だが、結局情勢が悪化の一途をたどり、国外退去を余儀なくされた。
 でも、彼女とアフガンとの縁はここで途切れたわけではない。アフガンの現状を目の当たりにしてしまった彼女は、医師としてこの地に戻ってこようと思いを新たにし、そして今このルーマニアの地で医学を学んでもう5年になる。同世代の女性が、これほどの思いをもって異国で頑張っていることに、なんだか心から励まされてしまった。
3時間の電車の旅終えると、ティミショアラに到着。1989年12月16日、この地で起きた蜂起がルーマニア革命の始まりとなり、1週間後のチャウシェスク政権の崩壊へとつながった場所でもある。暗がりの中、目を凝らして駅名を見つめた。

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