2011年7月26日火曜日


7月9日  @ボルツァーノ、イタリア
 昨日からお世話になっているイタリアはボルツァーノ。住民は、ドイツ語とイタリア語を操る。理由はその歴史を紐解くとわかる。
県域は、中世には神聖ローマ帝国のティロル伯領の一部であったが、1363年~1918年まではハプスブルク家により、ドイツ語圏として支配された。
第一次世界大戦後、1919年9月10日調印のサン=ジェルマン条約で正式にイタリア領となり、1922年にムッソリーニ政権が誕生するとイタリア化政策が推進され、ドイツ語の使用は禁止されたという。
1939年、ムッソリーニは、ドイツ語系住民に、ドイツへの移住か、イタリアでイタリア人との同化政策を受け容れるかの選択をさせることをヒトラーから提案され、同意。住民は、故郷を捨てるか、母語を捨てるかという究極の選択を迫られた。
21世紀のボルツァーノでは、M家の子どもたちが日本語、ドイツ語、イタリア語、英語のチャンポンで会話をしていた。

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