2011年7月15日金曜日


7月6日  パート1 @リュブリャナ、スロベニア
「リュブリャナの状況について教えてほしい」
 そんな漠然としたメールだったにもかかわらず、在リュブリャナ日本大使館の方が、「一度お越しください」と優しい返信を寄こしてくださった。
 というわけで、早速やって来ました日本大使館。1時間弱のレクチャーを受ける。
「リュブリャナは1991年に10日間戦争を経て旧ユーゴから独立。今年やっと大人に、つまり20歳になったわけです」。なるほど。
「14世紀にはハプスブルク家の支配下に入り、行政言語はドイツ語、日常はスロベニア語だったため、自分たちの文化が二流と思われているという鬱積した感情を抱えていたかもしれません。そういう歴史的背景も、『自分たちの国を持ちたい』という考えを持つにいたった理由としてあるのかもしれません」
 そんな話をお聞きしていると、あっという間に約束の1時間が来てしまった。
 そういえば、『Kralji Ulice』のソーシャルワーカー、ボヤンはボスニア・ヘルツェゴビナから内戦中リュブリャナに両親とともに亡命したと語っていた。今でも、月に1回は誰も住んでいないボスニアの家に帰るのだと。
美しい街並みにしか見えないこのリュブリャナにも、幾重にも国によって線が引かれ、それによって多くの人々がいまだに苦悩や涙を抱えながら生きていることに思いをはせた。

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