2011年8月8日月曜日

Special Thanks to:
ソウル・韓国/『ビッグイシュー韓国版』、リ・キジンさん、Sunnie Park
台北・台湾/『ビッグイシュー台湾版』
マニラ・フィリピン/『ジープニー』誌、Simon Song
サンクトペテルブルグ・ロシア/『Put Domoi』、マヤ&サーシャ
オスロ・ノルウェー/『=Oslo』、Per Kristian
コペンハーゲン・デンマーク/『Hus Forbi』
ノイミュンスター・ドイツ/『Die Jerusalemmer』、アンドレアス一家
アーネム&ユトレヒト・オランダ/『Straat Nieuws』、Woofy、船上のヘンリー・デイヴィッド・ソロー
アムステルダム・オランダ/『Z!』、タケトモコさん(http://www.tomokotake.net/)、Kingalita(http://www.myspace.com/kingalita)
パリ・フランス/『Macadam』、馬嶋慶子さん
ザルツブルグ・オーストリア/『Apropos』、Monica Pink
ミュンヘン・ドイツ/『BISS』
ベルリン・ドイツ/見市知さん(http://www.tram-magazin.de/article/54983473.html)、三浦愛美さん(http://punktchen-m.blogspot.com/)、南原順さん
ポズナン・ポーランド/『Gazeta Uliczna』
プラハ・チェコ/『Novy Prostor』、ダニエラ、祐子さん、オンドレイ、ナツコさん
ウィーン・オーストリア/雅代さん
ブラティスラバ・スロバキア/『Notabene』
ブダペスト・ハンガリー/『Flaszter』
オラデア・ルーマニア/ミファ、カタリン一家、美智子さん
ベオグラード・セルビア/『LiceUlice』
リュブリャナ・スロベニア/『Kralji Ulice』
ボルツァーノ・イタリア/もっち一家
ミラノ・イタリア/『Terre di Mezzo』、久子さん
グラスゴー・スコットランド/INSP(http://www.street-papers.org/)
エジンバラ・スコットランド/ホームレス・ワールドカップ(http://www.homelessworldcup.org/)
日本/『ビッグイシュー日本版』(http://www.bigissue.jp/)

最後になりましたが、日本から旅先に励ましのメールやメッセージをくださった方々、またブログを読んでくださった方々に、心からのお礼をお伝えいたします。本当にありがとうございました。また、これからもお互いに支えあいながら生きていけたらと思います。今後ともよろしくお願いいたします。


7月25日  @エジンバラ、スコットランド→大阪、日本
 半年の予定で4月11日~旅を続けてきたが、自分の心と身体に相談をして、いったん日本に戻ることにする。激しい移動の果てに、知らず知らずのうちに疲れがたまっていたようだ。
 この決断をするまでに、ためらい、迷い、「決めた!」と思って、また逡巡し、と長い時間を要した。いくつもの訪ねる約束をした人たちの顔が浮かび、なかなか結論が出なかった。でも、勇気を出して、そして正直に「今回は体力・気力の限界で訪れることができない」という申し訳ないという気持ち、また「ストリート・マガジンを訪れるという旅をライフ・ワークにして、必ずいつか休みなどを利用して会いに行きたい」という思いを伝えると、皆一様に「わかったよ。今度会える日を心から楽しみにしているよ」と温かい言葉を寄せてくれた。
 3カ月半の旅を通して得たものは数えきれないけれど、真っ先に浮かぶのは自分の弱さと人の優しさだ。異国の地で一人で過ごす夜は本当に心細かったし、生まれ持っての方向音痴のおかげで、「ほんとに待ち合わせ場所までたどりつけるのかな・・・」と路上で途方に暮れることもたびたびあった。でも、そのたびに、通りすがりの見ず知らずの人や現地のストリート・マガジンのスタッフや販売者さん、友人の優しさに助けられ、なんとか旅を続けられたのだと思う。
 なかなか素直に人に「助けて」とSOSを発信できなかった自分が、こうして人の助けを借りて旅を終えられるのは、これからの人生の一番の宝物のように思う。
 そして何よりも、世界の路上で今日も販売者さんがストリート・マガジンを販売しているのだ、とあの美しい立ち姿を想像してみるとき、今でも心がわくわくする。家、仕事、家族、社会との絆……と一時にいろんなものを失っても、またひとつずつ積み上げていけるということを身をもって教えてくれた世界の販売者さんたちに、弟子入りしたような、そんな3カ月半だったようにも思う。
韓国の「アジョシ(おじさん)・バレエ団」や、台湾でともにスイカを食べた販売者さん、ロシアのストリート詩人に、オスロのニルス、ザルツブルグのゲオルグ&エヴェリナ夫妻、スロバキアのイヴァン、ベオグラードのジェイ&エミール……元気にしてるかな?と、また会いに行きたい衝動にも駆られるが、ひとまずしばらくは、日常に地に足つけて歩んでいこうと思う。
 そして、いつの日か、アフリカや北南米のストリート・マガジンの販売者さんやスタッフにも会いに行ける日が来ることを夢見つつ……。


7月24日 @エジンバラ、スコットランド
 ビッグイシュー日本の東京事務所代表のMさんと、エジンバラ散歩。バグパイプの音色の中、ファッジをつまんだり、古本屋に入り浸ったり、「Close」と呼ばれる路地裏を覗いてみたり……。夕刻になり、昨日M編集長と街を通りがかった時、「ぜひ登ったらいいわよ」と勧められていたホリールード・パークの丘を登ってみることにする。
 急勾配な坂道で、息も切れ切れなのだが、振り返った時の風景がすばらしい。近景には芝生で思い思いに時間を過ごす人々、遠景にはエジンバラ城にカモメの舞う海。心地よい風に誘われて、丘の7分目あたりで、2人ごろんと横になって思い思いに語り合う。
 身の上話から人生、自分たちの生きる日本社会について……エジンバラの風や野花も、そんな会話にそっと耳を傾けているようだった。

7月23日  パート2 @エジンバラ、スコットランド
 ホームレス・ワールドカップ(以下、HWC)は、INSP(ストリート・マガジンの国際ネットワーク)の年次総会でも、時にその功罪が話に上った。“罪”の側面の一つが、「HWCで夢のような日々を送った後、自分の国に戻ると、なかなか現実になじめず、地道に雑誌販売をしていくのが難しい面もある」というもの。
今回の訪問で、そのことも話題に上ったのだが、それについてはHWCのスタッフも認識しており、だからこそ、選手としてHWCに参加した人が、今度は自国でストリートサッカーのコーチになれるような仕組みづくりなどもしているという。アフリカ諸国では、現地で養鶏場をつくり、仕事の機会を生み出すのを助けてもいるとのこと。
 そういえば、と、旅のはじめのほうでマニラで出会ったストリート・マガジン『ジープニー』の販売者、ハミッドのことを思い出した。彼は、去年ブラジル・リオデジャネイロで行われたHWCに参加。現在はストリート・チルドレンにサッカーを教えるプログラムに参加していると目を輝かせて語ってくれた。以前は夢なんかなかったけれど、サッカーと知り合って夢を持てるようになった、と。
A ball can change a life. 今年8月、パリ・エッフェル塔のふもとで、さまざまな人生がまた交差する。

7月23日  パート1 @エジンバラ、スコットランド
 今年8月21日~28日まで、パリで開催されるホームレス・ワールドカップ(以下、HWC)。03年の第1回グラーツ大会では18カ国の参加だったが、8回目の今年は、48カ国の参加が予定されている。
 06年の南アフリカ大会を追ったドキュメンタリー『ホームレスワールドカップ』は、昨年日本でも公開され、年々その注目が増すHWCの事務所がエジンバラにある。地元のプロサッカーチーム、ハイバーニアンの競技場に併設された事務所を、『ビッグイシュー日本版』のM編集長&東京事務所代表のMさんと訪れると、代表のメル・ヤングとスタッフが笑顔で迎えてくれた。
「もう何度も聞かれて、答えるのがいやかもしれないけれど……」とスタッフの一人が、3・11以降の日本の状況を聞く。それについて、Mさんが「『ビッグイシュー日本版』の販売者さんの中には、以前建設現場で働いていた人も多くて、彼らと津波の現場でボランティアをしてきました」と報告すると、「それは、すばらしいわね」と皆の表情が少し緩んだ。
 今回のHWCには「ビッグイシュー日本」からも選手団「野武士ジャパン」を派遣する。「3・11以降の日本の状況にこちらのメディアも関心があるので、『野武士ジャパン』への取材が殺到するかもしれない。覚悟をしておいてね」と、HWCのスタッフに言われる。野武士ジャパンは選手団であると同時に、大使でもあるのだなぁと実感したのだった。

2011年8月6日土曜日


7月22日 パート2 @グラスゴー、スコットランド
 グラスゴー最後の夜は、INSP(ストリート・ペーパーの国際ネットワーク)アワードの授賞式が待ち受けている。
『ビッグイシュー・南アフリカ』のトゥルーディ、『ビッグイシュー・ザンビア』のサンバは原色が映える民族衣装に身を包む。ドイツのアンドレアスはキルト、フィリピン『Jeepney』誌のリアはドレス。日頃各国の路上をジーパンとスニーカーで駆け回っている彼らも、この日ばかりはオシャレに決めている。
 INSPアワードは、40カ国100誌をこえるINSPの加盟誌を対象に、インタビュー部門、表紙デザイン部門、写真部門などで賞を授与するというもの。この1年ストリート・マガジンの現実を生き抜いてきた彼らの労をねぎらい、また次の1年もともに知恵を分かち合い、助け合いながら、乗り切っていこうという再確認の場でもある。
 今年「最優秀インタビュー賞」を受賞したのは、米国フィラデルフィアのストリート・マガジン『One Step Away』に掲載されたホセ・エスピノサ取材の「Fighting back」。かつてライトヘビー級のボクサーでワールド・チャンピョンだったマシュー・サード・モハメッドにインタビューしたものだ。
「ミラクル・マシュー」とも呼ばれた彼は、70年代後半から80年代前半にかけてボクシング界を賑わせたが、リングを去り、2010年には、ホームレス状態でフィラデルフィアのシェルターにたどりついた。
しばらくのシェルター生活を経て、ホームレス状態から脱却しつつあるところを、同じシェルターの住人ホセがインタビューしたものだ。(http://www.streetnewsservice.org/news/2011/july/feed-289/fighting-back.aspx)。会場からは温かい拍手が、受賞者に降り注いだ。
 授賞式の最後は、皆でスコティッシュ・ダンス・タイム。食べて、笑って、語り合って、分かち合った4日間。濃密なグラスゴーでの時間はこうして幕を閉じた。

7月22日 パート1 @グラスゴー、スコットランド
 INSP(ストリート・ペーパーの国際ネットワーク)の年次総会最終日。休憩時間に、コロンビア・ボゴタのストリート・マガジン『La Calle』代表を務めるホアンと少し話す。雑誌のページを繰りながら、「毎号必ず路上に住む人たちの生の声を載せるようにしているんだ」と語るホアン。その言葉は、彼ら自身のスラングで書かれたものをそのまま掲載しているという。
 3カ月に1回、4000部が発行されている『La Calle』。「ストリート」という意味のこの雑誌は、約20人の販売者さんを抱える。ホームレス状態になる背景には、貧困やドラッグがあるという。
 ホアン自身は『La Calle』に携わる前は、ドラッグユーザーやセックスワーカーの人たちの権利回復のために活動する団体で13年間働いていた。「この活動のために2年間刑務所に入っていたこともある」というホアン。そこまでして、人のために働けるのはなぜ? 素朴な質問が口をついて出る。「だって、皆がひとしく質のいい生活を送れるようにしたいじゃない?」、笑みをたたえながらそう語るホアン。「誰かのために!」と片意地張ってするのでもなく、ホアンの自然体がこの活動の長続きの秘訣なのだろうなぁと、彼の穏やかな表情を見ながら感じたのだった。