2011年6月25日土曜日


6月24日 パート2 @ハンガリー、ブダペスト
 約束の時間に1時間遅れたことを謝ると、「電車が遅れるのは、東欧の伝統だから仕方ないよ」と、ブダペストのストリート・マガジン『フラスター』のスタッフ、チャバと販売者のゾルタンが迎えてくれた。
 早速ゾルタンに話を聞く。96年からハンガリー第3の都市ミシュコルツでストリート・マガジン販売の仕事を始めた彼は、「アルコールによってすべてを失いました」と語る。仕事、家族、家・・・すべてが彼のもとから去って行った。
 雑誌販売によって現在はアパートの一室を借りているゾルタンは、実は2年前に2人の娘との再会も果たした。「共通の知り合いが、『ゾルタンはもうアルコール依存症ではなく、新しい仕事も見つけたようだよ』って娘たちに知らせてくれてね。とてもうれしかったよ」。一度はすべて失った。でもまた、時間をかけて、1つずつ築きなおす。2人の娘のことを語るとき、ゾルタンは初めて笑顔を見せてくれた。
6月24日 パート1 @ブラティスラバ、スロバキア→ハンガリー、ブダペスト
 今日は移動日!と勢い込んでホテルを出たものの、駅についてみると電車が1時間の遅れとのこと・・・脱力・・・。
 仕方がないので、駅の階段に腰掛け、旅のおともにもってきていたロバート・キャパの『ちょっとピンボケ』(文春文庫)を紐解く。しょっぱなから彼独特のユーモアに引きこまれて、前景にあった駅のざわめきがすーっと後ろに引いていった。
「報道写真家でありながら同時に、優しい心を失わないでいることの難しさについて自問自答」するくだりを読む頃には、電車は無事ブダペストに向けて出発していた。
 それにしても、キャパの悩む姿が美しいなぁー、と思う。「写真屋! どんな気で写真がとれるんだ!」と言われて、「自分を嫌悪し、この職業を憎」む。そうやって揺れる心に、真摯に人生に向き合っている感じがよく出ていて、なんだかとても励まされる思いがした。
 そういえば、と、旅のはじめにソウルで、友人のSが語った「確固たる何かを築いて何事にも動じない人よりも、傷つきやすくてもろい人に、どうしても引かれてしまうんだよね」という言葉を思いだしながら、車窓の緑を目で追った。


6月22日 パート2 @ブラティスラバ、スロバキア
 夜7時。『ノタベネ』誌のズザと2人、ある舞台を見に出かけた。その名も「クカパカ(KUKA PACA)」。
 暗がりの中に人影が現れたかと思うと、一言こう叫ぶ。「人生はゲームだ」。またある人影はこう叫ぶ。「人生は痛みを伴う」。そして続々7人がそれぞれの人生の箴言を吐いた後、ライトは客席を照らし、こう問いかける。「それで、君はどこにいるんだい?」
 その後繰り広げられるのは、1組の夫婦の会話劇や、孤独を抱えて犬にしか自分の思いを話せない中年女性の繰り言、心の痛みを吐露する若者のラップ・・・それぞれの生き様がモザイクのように映し出される。
今年5月に5周年を祝ったばかりの「クカパカ」。その俳優陣は、皆ホームレス状態の人々で、そのほとんどが『ノタベネ』誌の販売者さんたち。今回が3回目の参加だというエルカが演じたのは、犬にしか自分の心の思いを話せない女性。「あれは、私の本当の姿なの。いまだに人に対して自分の考えを話すのが怖いのよ」と語る。「でもね」と傍らのズザが続ける。「エルカの書いた脚本が次回作に使われることが決まっているのよ」。すばらしい!
アーティストとしてこの俳優陣たちとかかわるパトリックはこう語る。「彼らの表現方法はとてもダイレクトでシンプル。どうやって人生を生き抜いていくかを知り尽くしているように感じます。台詞は全部オリジナルで彼ら自身が考えているのですが、その表現のプロセスにかかわれるなんて、これほどうれしいことはありません」。自身のアーティスト活動にも、大きな影響を受けているという。
30分強の劇の後には、俳優陣たちと観客とで話の輪が幾重にもできていた。

2011年6月24日金曜日


6月22日 パート1 @ブラティスラバ、スロバキア
『ノタベネ』誌の販売者さん、ヴラダに話を聞く。孤児院で育ち、「いつも両親の愛に飢えていた」と語る彼。その後、住み込みで働いていた工場でも解雇され、路上での生活を余儀なくされた。寝ているときに襲撃されたこともある彼にとって、路上での生活で心休まることはなかった。
 10年前に『ノタベネ』に出会ったことが人生で一番うれしかったこと、と語るヴラダ。「この仕事で大変だったことは?」と聞いても、「『ノタベネ』で大変だったことは一度もないよ。それ以前の人生がもっともっと過酷だったからね」と語る。
 現在は知り合いのガーデン・コテージに住まわせてもらっている彼にとって、『ノタベネ』で築いた人間関係は宝物のようだ。売り場付近の銀行のガードマンとも仲良くなり、雑誌販売中にからまれそうになったら、助けてくれるという。
 話を聞いている最中も傍らにいるソーシャル・ワーカーのスタッフと目配せして笑いあったりして、すっかりリラックスしている。彼にとっては『ノタベネ』が心落ち着くホームなのだろう。
 そんな彼に、「夢はなんですか?」と聞いてみた。「僕には夢はない。ただただ毎日を一生懸命に、一歩一歩生きていくだけさ」

6月21日 @ブラティスラバ、スロバキア
 スロバキアの『ノタベネ』誌は、2001年創刊。当時、INSP(ストリートペーパーの国際ネットワーク)が中・東欧でストリート・マガジンを創刊できるような団体を探しており、ブラティスラバで白羽の矢が立ったのが、当時ソーシャルワークを学ぶ学生だったサンドラたち3人だった。
 あれから10年。「もう10年たったとはねぇー。この仕事はあまりにも私の人生と密接にかかわりすぎているわ。いつも仕事に没頭しすぎて、自分の人生のこと考えるのをつい忘れてしまうんだけど」と笑う。「でも、人生で大切なことはすべてこの仕事から学んだ気がするわ」と語る。
 その例として、4年前この地にできたホームレス状態の人のためのシェルターのことをサンドラは語りだした。話は、6年前の冬にさかのぼる。当時、20人ものホームレス状態の人たちが路上で死んだことがこの国で大きな社会問題となっていた。というのも、その頃はシェルター入場前にアルコールテストがあり、これに引っかかった人は、シェルターで寝泊まりすることを拒否されたのだ。行き場をなくした彼らが、寒い冬の路上で凍死することもめずらしくなかった。
「当時、同僚のニーナとこの問題に取り組んでいて、酒気を帯びていたとしても、アルコールテストなしに、誰でもシェルターに泊まらせるべきだというキャンペーンを張っていたの。でも、冷たい反応を示す人もいて、私の意欲もくじかれそうになった時に、ニーナがこう言ったの。『21世紀に路上で人が死ぬっていうことを許していいと思っているの?』」
ニーナの信念は人を動かし、結果、酒気を帯びていても寝泊まりできるシェルターが新たに設けられた。「このことを通して、自分のやっていることを信じていくことの大切さを目の当たりにしたわね」とサンドラ。「これは今では、私の人生の指針でもあるのよ。『自分のやっていることを信じてあげなければならない』ってね」

6月20日  @ブラティスラバ、スロバキア
 3月11日。津波の一報を聞きつけたスロバキア『ノタベネ』誌のサンドラから、「大丈夫?」とメールが来たのは、地震発生から3時間ほどのことだったと思う。その後も、「『ノタベネ』誌の4月号の売り上げを『ビッグイシュー日本版』に寄付することに決めたから」とメールが来たりと、何かと行動で愛情を示してくれるこのスロバキアのストリート・マガジンに、直接「ありがとう」と言いたかった。
 事務所を訪れると、編集部員のダグマ、ファンドレイザーのズザ、ソーシャル・ワーカーのイヴァンや販売者さんたちが歓迎してくれた。
 まずは販売者さんたちのお礼をと思い話しかけると、「毎日ニュースを見て、日本の人たちがあの大変な状況の中笑顔を忘れずにいることに、励まされているよ。僕も見習って、売り場ではいつも笑顔を心掛けているんだ」と語る。「この状況は一生続くわけじゃない。状況は絶対少しずつ良くなっていくはずさ。僕の人生だってそうだったんだから」


6月20日  @ウィーン、オーストリア→ブラティスラバ、スロバキア


 オーストリアからスロバキアへは、内陸国の移動なので電車かバスでと思っていたが、ザルツブルクで出会ったモニカに「ドナウ川を通って、船で行けるわよ」と教えてもらった。1時間45分の乗船中、ずっとデッキで風に吹かれていた。無事スロバキアの首都、ブラティスラバに到着。
 今回宿泊する「ホテル・キエフ」は70年代の共産党時代に建てられたもので、なんともレトロな雰囲気。レセプションには、西ドイツのベンツの向こうを張って東ドイツで生産されていた「トラバント」が展示されていた。
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