2011年5月8日日曜日


5月4日 @サンクトペテルブルグ
 マヤ&サーシャ家の黒猫ティーシャは、すごく人なつっこい。パソコンに向かって日記を書いていると、なんだか視線を感じる。その視線の先にティーシャがいたりする。またある時には、「遊んでよ~」と身体を摺り寄せてきたりする。そんなことが、会って初日から続いている。
「君はほんとに猫か?! 猫たるもの、もっとシャイでなくていいのか?!」とその黒目に問いかけると「吾輩は紛れもなく猫である」とこちらの目を見返してくる。そして、「まぁまぁ、そんなことどうでもええやん」とテレビの上からしゅたっと降り、また身体を摺り寄せてくる。
 に、憎めない・・・。ロシア随一の外交官にしてやられている。


5月3日  @サンクトペテルブルグ
 サンクトペテルブルグと言えば、エルミタージュ美術館。というわけで、地下鉄を乗り継ぎ、ホームステイさせてもらっているマヤ&サーシャ夫妻とエルミタージュのある「ネフスキー・プロスペクト」駅にやってきました。地下鉄は、25ルーブル(約75円)で路線図のどこへでもいける住民の足だ。
 さすが、ロマノフ朝第8代女帝、エカテリーナ2世をはじめ、歴史上の皇帝が実際に住んだ宮殿だけあって、建物自体が豪華絢爛。寒空の下、長蛇の列の一員となったが、建物のディテールを見ているだけでも飽きない。
 ついに、その建物に一歩足を踏み入れると、料金はロシア人100ルーブル(約300円)、外国人400ルーブル(約1200円)。さらに、館内の写真を撮りたいアマチュアカメラマンは200ルーブル(約600円)必要です、とのこと。
 そういえば、ロシアの観光ビザを取るときも、「2週間後の受け取りなら無料」「1週間後なら5千円」「翌日なら3万円」と料金設定がおもしろかったことを思い出す。
 まずは1階の古代エジプト展示室から。旅のおともに『ロゼッタストーン解読』(新潮文庫/レスリー・アドギンズ、ロイ・アドキンズ)をもってきたものの、未読に終わっている。展示品の解説もロシア語のみだったので、ヒエログリフの読み方をおぼえてこればよかったと、激しく後悔。
 大使の階段をのぼって2階へ。1917年のロシア革命時には、革命軍もここから突入したという。なんだかエミルタージュ美術館に足を踏み入れた途端肌で感じた人間臭さみたいなものは、ここが美術館であったと同時に、生活の場であり、政治の場であったからだろう。
2階で目を引いたのが、キース・ヴァン・ドンゲン(1877-1968)というフランスに帰化したオランダ人画家の「Dame au chapeau noir(黒い帽子の女)」と「Danseuse(踊り子)」という作品。なんだか、その女性たちが、血の流れた生きている人間のように見えた。しばらく眺めていると、自身の半生を語りだしそうだった。
ゴッホの「エテンの庭の思い出」は、その厚塗りにびっくり。噂には聞いていたが、すごい・・・。キャンバスにこんもり塗られた絵の具が、時を経ても、すごく生々しい。当時のゴッホの感情もその絵具の中で生渇きのまま残っているようで、妙にリアルに感じてしまう。
 3時間の鑑賞を終えると、頭と足が糖分を要求。サーシャおすすめのカフェでスウィーツとラテを注文。こってり濃厚のチョコレートクリームも、今日はすーっと身体にしみいっていった。



5月2日 パート2 @サンクトペテルブルグ
 シェルターを出て、遅めのランチへ。アーカディが、グルジア料理の店へ連れて行ってくれるという。16時と、食事には中途半端な時間ながら、レストランは満席。
「僕の注文を信頼してくれる?」とアーカディが聞くから、ノルウェー人のクリスチャンと「オフコース!(もちろーん!)」と即座に返事。注文後出てきたのは、真っ赤に染まったキャベツのピクルスと、なんと小龍包ならぬ大龍包! まさか、台北を出て24時間後に、またお目にかかれるとは! グルジアの大龍包は、素手で食べるという。「あちっあちっ」と言いながらジューシーな肉汁を真剣にすする大人3人・・・。
「サンクトペテルブルグで、ロシア人、ノルウェー人、日本人で、グルジア料理を食べる日が来るなんて思わなかっただろ?!」とアーカディ。
「国は人を分断しようとするけど、僕はその反対のこと、人をつなげることをしたいんだよ」とも語った。
 08年8月の南オセチア紛争以降、ロシアとグルジアの間では軍事的緊張が続いている。あつあつの大龍包を味わいながら、言葉では多くを語らないけれど、アーカディがこのレストランに連れてきてくれたことの意味を心で反芻していた。


(※)後で調べてみると、ヒンカリという名前のようです。


5月2日 パート1 @サンクトペテルブルグ
 吐く息が白い。毛穴中から汗が噴き出した台北から、気温差20度のサンクトペテルブルグでは、マフラーと手袋が欠かせない。
 ロシアのストリート・マガジン『プット・ドモイ』の事務所からバスで10分ほどのところに、ホームレス状態の人のためのシェルターはあった。ここは、「ナイトシェルター」というNPOによって運営されているという。ここに、『プット・ドモイ』の仕入れ拠点もある。
 扉の向こうの壁には、お花畑が広がっていた。壁に描かれた絵の数々は、ホームレス状態のレナという女性によるものだという。その淡い優しい色合いに、しばらく目を奪われる。
 5分と経たないうちに、1人の販売者さんが仕入れにやってきた。なんと雑誌を300部も仕入れていく。ノルウェー人のクリスチャンと2人驚いていると、「これは1週間分だよ」と謙遜する。
 しばらく紅茶を飲んでくつろいだ後、おじさんは寒空の下、雑誌販売に繰り出した。
『プット・ドモイ』の販売者さんは、現在約15人。ほとんどが地下鉄の構内などで販売する。1冊20ルーブル(約60円)のうち、10ルーブル(約30円)が販売者さんの収入になるという。



5月1日 @台北→サンクトペテルブルグ
 実は、2~3日前から身体が震えるような緊張感を覚えていた。いや、正直言うと、旅の始まる前から武者震いをしていた。いよいよロシア入国だ。
 旅の準備編から、結構煩わされた。観光ビザを取るためには、正確な出入国日が必要。基本的に個人旅行はできず、現地か日本の旅行会社から「バウチャー」という書類を提出してもらう必要がある・・・。サンクトペテルブルグのストリート・マガジン『プット・ドモイ』のアーカディが全面的に協力してくれて、ビザが無事手に入った時には、思わず「快哉!」と叫んだものだ。
 だが、その後もインターンネット上の「ロシアの入国審査は厳しい」の言葉に翻弄され、不安を募らせる日々だった。
 台北を出発して15時間余り。いよいよビザ付パスポートを片手に、ロシアの入国審査の前に立った。心拍数は見事に倍増。文字通り手に汗握る。前に並んでいた韓国人のおじさんが、無事国境を越え、いよいよ私の番だ。右手と右足が同時に出て、あわてて歩を整える。ビザのページを開いてパスポートを提出。ロシア語は「スパスィーバ(ありがとう)」と「ハラショー(いいね!)」しかわからない。非常時にまったく役に立たないであろうこの2語でどうしようというのか・・・。「あー、ちゃんと勉強してくるんだった・・・・・・」と後悔の嵐が吹き荒れる中、担当のお兄ちゃんはあっさり、「はい」とパスポートを返してくれた。えっ、終わりですか!?
 旅の出発前、あまりにロシア入国が不安で、メールで質問を連発した私に、アーカディが書いてきた返事を思い出す。「ロシアはかなりミステリアスな国だけど、僕らもみんな同じ人間だよ。心配しないで」。疑いすぎてごめん、ロシア。
 ゲートを過ぎると、アーカディと、7日間泊めてもらうことになっているアーカディの友人マヤ、そしてアーカディとともに映画プロジェクトを立ち上げた、元オスロのストリートマガジン『エルリック・オスロ』のスタッフ、クリスチャンが待っていてくれた。



4月30日 パート2 @台北
「全然台北観光できてないんじゃない?」とシャロンとキラが心配して、販売者会議の後、龍山寺近くのナイトマーケットに連れて行ってくれた。
 初めて食べた臭豆腐は、すっかりやみつきに。タピオカティー、アーモンド巻アイスクリームと、食欲にすっかり火がついてしまった。
 それにしても夜市で働く人がかっこいい。華麗な手さばきで肉を焼く鉄板焼き屋のおっちゃん。ひっきりなしの注文を「あいよ」と続々さばいていくおばちゃん。なんだか一流のパフォーマンスを見ているようで、全然飽きない。
 場所を移して火鍋屋では、ファインスとパートナーのサンディ、アニーと彼氏も加わり鍋をつつく。台北にすっかり胃袋をつかまれ、最後の夜は更けていった。

4月30日 パート1 @台北
ストリート・マガジン『ビッグイシュー台湾版』の販売者会議をのぞかせてもらう。販売者さん30人近くが出席。5-6人、30-40代らしき若い販売者さんや女性の販売者さんの姿もみえる。
編集長のファインスから、5月号の特集は「On the road」と題された旅特集になるとの報告。
 続いて、「目前絶版雑誌」として、レディー・ガガやジョニー・デップが表紙の号が紹介された。デップ様人気は国境をやすやすと越えている模様。
 会議の後は、ファインスから読者アンケートを見せてもらう。手書きの文字から、読者の思いがにじみ出てくるかのよう。「表紙にしてほしい人」の欄には「アンジェリーナ・ジョリー」や「金城武」と並んで、「加瀬亮」や写真家の「川内倫子」の名前を発見! 思わずにまにましてしまう。
 一言メッセージ欄には「加油!(がんばって!)」の文字と何度も遭遇。多くの人の思いに支えられていることを改めて実感した。